第12話|最初の一部屋を、どう直すか。

一部屋から始める。

そう決めたら、

次の問題が出てきます。

どこまで直すのか。

古い部屋を見ると、

直したい場所はいくらでもあります。

壁。

床。

天井。

キッチン。

洗面。

トイレ。

建具。

照明。

エアコン。

全部新品にすれば、

確かに綺麗になります。

でも、

全部必要なのでしょうか。

最初に分ける。「直したい」と「直さなければならない」。

例えば、

壁紙が古い。

床に傷がある。

キッチンが昔っぽい。

これは、

「直したい」。

一方で、

雨が入る。

電気が危ない。

水が出ない。

排水できない。

これは、

「直さなければならない」。

同じ修繕でも、

意味はまったく違います。

資金が限られている以上、

まず後者です。

安全。

水。

電気。

排水。

防水。

人が使える最低条件を整える。

そこには、

必要なお金を使います。

旧大社駅で、古さの見え方が変わった。

島根で訪れた旧大社駅。

印象的だったのは、

有名な天井だけではありませんでした。

窓。

柱。

建具。

ホーム。

建物の細部に、

「ここが実際に駅だった時間」が残っています。

もし、

古くなったものを全部、

今風の新品へ交換したら。

確かに便利で、

綺麗になるかもしれません。

でも、

私がそこで感じた魅力の一部は、

消えてしまうと思います。

もちろん、

旧教員宿舎と旧大社駅では、

建築的な位置づけは全く違います。

文化財のように保存する話ではありません。

でも、

一つだけ持ち帰れる考え方があります。

古いから交換する、ではなく、一度「残せないか」を考える。

後からできるものは、後から。

例えば、

もっと良い照明にする。

家具を増やす。

壁の仕上げを変える。

こうしたことは、

人が使い始めた後でもできます。

だったら、

最初から100点を目指さない。

まず、

70点でも使える場所をつくる。

実際に人が使う。

そこで、

「ここが不便だった」

「ここは意外と気にならない」

が分かる。

それから、

お金を使えばいい。

島根県立美術館で感じた「余白」。

島根では美術館にも立ち寄りました。

建物そのものを見るのも好きですが、

印象に残る施設は、

展示物だけではなく、

その場所でどう過ごすかまで設計されている

ように感じます。

全部の空間に、

何かを詰め込めばいいわけではない。

余白があることで、

外を見る。

座る。

止まる。

そういう時間が生まれます。

旧教員宿舎の部屋も、

「せっかく直すなら」と、

全部を埋める必要はないのかもしれません。

最初の一部屋は、商品であり実験室。

一部屋目には、

二つの役割があります。

一つは、

家賃や宿泊費を生む商品。

もう一つは、

残り11室のための実験室。

何を残せたか。

何にお金がかかったか。

どこを自分でやれたか。

どこはプロに頼むべきだったか。

利用者は何を評価したか。

それを全部、

次の部屋へ持っていきます。

正解を最初から知っている必要はありません。

一部屋目で、

正解に近づけばいい。