一部屋から始める。
そう決めたら、
次の問題が出てきます。
どこまで直すのか。
古い部屋を見ると、
直したい場所はいくらでもあります。
壁。
床。
天井。
キッチン。
洗面。
トイレ。
建具。
照明。
エアコン。
全部新品にすれば、
確かに綺麗になります。
でも、
全部必要なのでしょうか。
最初に分ける。「直したい」と「直さなければならない」。
例えば、
壁紙が古い。
床に傷がある。
キッチンが昔っぽい。
これは、
「直したい」。
一方で、
雨が入る。
電気が危ない。
水が出ない。
排水できない。
これは、
「直さなければならない」。
同じ修繕でも、
意味はまったく違います。
資金が限られている以上、
まず後者です。
安全。
水。
電気。
排水。
防水。
人が使える最低条件を整える。
そこには、
必要なお金を使います。
旧大社駅で、古さの見え方が変わった。
島根で訪れた旧大社駅。
印象的だったのは、
有名な天井だけではありませんでした。

窓。

柱。

建具。

ホーム。
建物の細部に、
「ここが実際に駅だった時間」が残っています。

もし、
古くなったものを全部、
今風の新品へ交換したら。
確かに便利で、
綺麗になるかもしれません。
でも、
私がそこで感じた魅力の一部は、
消えてしまうと思います。
もちろん、
旧教員宿舎と旧大社駅では、
建築的な位置づけは全く違います。
文化財のように保存する話ではありません。
でも、
一つだけ持ち帰れる考え方があります。
古いから交換する、ではなく、一度「残せないか」を考える。
後からできるものは、後から。
例えば、
もっと良い照明にする。
家具を増やす。
壁の仕上げを変える。
こうしたことは、
人が使い始めた後でもできます。
だったら、
最初から100点を目指さない。
まず、
70点でも使える場所をつくる。
実際に人が使う。
そこで、
「ここが不便だった」
「ここは意外と気にならない」
が分かる。
それから、
お金を使えばいい。
島根県立美術館で感じた「余白」。
島根では美術館にも立ち寄りました。
建物そのものを見るのも好きですが、
印象に残る施設は、
展示物だけではなく、
その場所でどう過ごすかまで設計されている
ように感じます。
全部の空間に、
何かを詰め込めばいいわけではない。
余白があることで、
外を見る。
座る。
止まる。
そういう時間が生まれます。
旧教員宿舎の部屋も、
「せっかく直すなら」と、
全部を埋める必要はないのかもしれません。
最初の一部屋は、商品であり実験室。
一部屋目には、
二つの役割があります。
一つは、
家賃や宿泊費を生む商品。
もう一つは、
残り11室のための実験室。
何を残せたか。
何にお金がかかったか。
どこを自分でやれたか。
どこはプロに頼むべきだったか。
利用者は何を評価したか。
それを全部、
次の部屋へ持っていきます。
正解を最初から知っている必要はありません。
一部屋目で、
正解に近づけばいい。

